“血が繋がっていない子を育てる”
こういう設定は、ドラマにもなりやすい。
僕はそんなにドラマは見ないけど、
古いところだと「池中玄太80キロ」がすぐ思い浮かぶ。
最近では「マルモのおきて」かな。
僕の彼女は、交際から5年で、命にかかわる病気を患った。
僕はこの時すでに、彼女と娘に対して、
家族と何ら変わらぬ深い愛情を持っていた。
だから、もしその時が来たら、
「俺は池中玄太になってやるぞ!」と本気で思っていた。
“血が繋がってなくても家族になれるか?”
すなわち、
“血の繋がりのない子を本気で愛せるか?”
ということなら、
僕は愛せた。
なぜそう言えるかというと、
娘のオムツを変えていたときに、
「この子のためなら死ねる。」
「この気持ちは、きっと自分の子供の場合と同じはず。」
と思ったから。
当然、愛する彼女の存在があったからこそではある。
娘もまた、すぐに僕になついてくれて、
彼女がママであれば、僕はパパそのものであっただろう。
僕は自慢じゃないが、彼女の親戚やママ友、近所の人とかによく褒められた。
だから、周りから見ても、僕たちは家族にしか見えなかったと思う。
信頼し合える仲で、周囲からも認められていれば、
十分、家族と言えるのではないだろうか。
このテーマは、実際にはいろんなケースが存在する。
現実として難しい状況もある。
例えば、子供が多感な時期に、
突然、本当の父親じゃない人が現れたら…
僕が中学生の頃、転校してきた女の子がいた。
可愛くて、本当は素直でいい子なのに、
当時はかなり荒れていた。
その後、苗字が変わった。
親の離婚と再婚があったのだと思う。
子供の年齢や境遇によっては、簡単な話ではない。
そういった難しい境遇もあるが、
ラッキーなことに、僕は娘が1歳のときに出会った。
ほぼ自分の娘と言ってもいいのではないか。
少なくとも僕にとっては、
血が繋がっているかどうかなんて、
幸せになるための要素ではなかった。
法律上の家族にはならなかったが、
僕ら自身は家族と信じていた。
基本的には、
「血縁は乗り越えられる」
「家族になれる」
と僕は信じている。
僕は、娘との22年の経験からそう思う。
血が繋がってなくても家族になれるか?
- 2026年8月23日
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