お手伝いのつもりで始めた農業が誤算だった

僕は共同経営で旅行会社をやっている。
業績はずっと安定していた。


しかし、2020年からはコロナで状況が一変。

現在は最盛期の約10分の1にまで下がってしまった。



「このままでは生きていけない。」


かといって、旅行会社を畳むのはもったいない。


そこで、昼間は旅行の仕事をしつつ、
夕方から4時間、ドラッグストアでアルバイトを始めることに。

昔、接客のアルバイトをしていたので、それを活かした。



だが、本業で業績が下がり続け、お金が足りない。


そんなとき、同僚から1つ提案があった。


ドラッグストアを辞めて、農業を手伝えば給料を出すとのこと。



悩んだが、あとがない僕は即決でOKした。
給料は安いが、ぎりぎり生活は出来た。



ただ、僕は農業を相当あまく見ていた。


どこまで関わるかにもよるが、
結局は、農業が本業というくらいの仕事量だった。

お手伝いくらいの関わり方でいいのかと思っていたのが大間違い。
「失敗した」と心底思った。



栽培は、「ナス」と「長ネギ」がメイン。特にナスはやばい。

準備も大変だが、収穫時期の6~10月はほぼ休みなし。

嵐が来ようが、毎日大量のナスをもがないといけない。

その代わりナスは儲かる。




具体的な作業としては、収穫・詰め・出荷はもちろんのこと、
農薬をまいたり、トラクターを運転したり、チェーンソーで丸太を切ったり、森のような荒地を開拓したりと、
ちゃんと本格的な農業をやっていた。


最初の2年は他に人を雇ってなかったので、早朝から夜遅くという日もあり大変だった。




ただ、そこまではいいとして、僕の場合は旅行業がある。



草刈り機を「ウイ~~~ン」とやってるときに、


旅行の問い合わせや予約の電話が鳴る。
すぐに手を止めて対応しなければならない。


ポケットに入れた小さなメモ用紙に要件を書くが、汗びっしょりで字が滲んでしまう。
当然、宿の予約をしたりとか、お客様に書類を送ったりとか、農作業中にはできない。自宅に帰ってからやるのである。

繁忙期は、農作業が終わるのが20~21時になることもあった。


自宅まで車で片道約1時間。食事して風呂入って、落ち着くのがだいたい23時頃。



ここからが本業の仕事。でも、どうしても眠くて少ししか手が付けられない。


逃げて行ったお客様がどれだけいたことだろう。


睡眠時間は日によってだが1~3時間。




風呂からあがってソファーでそのまま眠ってしまい、大遅刻することもあった。そういう時だけ十分に睡眠がとれる。

50すぎてから突然、このリズムでやるのはキツイ。



そして、もう一つ重要なことがあった。



それは「外反母趾」の痛みに悩まされていたこと。僕の足は、農作業によって確実に悪化していった。



さらに「パーキンソン病」も同時進行していた。



動作が遅いので、同僚によく「やる気がない」「バカにしてるんだろ」と言われた。
僕は決してそんなつもりはないが、どうしても思うように体が動かなかった。



翌年からは、外国人を雇って、仕事も早かったので僕の負担も減り、とても助かった。




しかし、彼女の容態が徐々に悪くなってきていた。



僕はもっと彼女の近くにいてあげたかったが、相変わらずほとんど休みがない。



亡くなる前の数年間は、本当に彼女に寂しい思いをさせてしまった。



どれだけやけ酒を飲んで、病気を悪化させたか想像がつく。



今でも、彼女の寿命を少し縮めてしまったのは、僕だったのかもしれない。
そんな考えが、頭から離れない。


寂しがり屋の彼女を決して放っておいてはいけなかった。彼女に申し訳なくて仕方がない。


娘に対しても、「大切なママを守れなくてごめんね」という気持ち。
彼女の親友に対しても、「大事な友達を守れなくてごめんね」という気持ち。



「ほんとに…..」


「農業なんてしなければよかった…」




と、後悔もあるのでここまでいろいろ書いてきたが、ビジネスを軌道に乗せるためには、どこかでこういう努力は必要。だから、仕方がないと思っている。


50過ぎて、他にまともな仕事なんてないし、同僚も期待通りに動いてくれない仲間に、給料を出し続けるのも大変だったと思う。


この時点で、僕は僕なりに最善の道を選んだはずだったし。
でも結局、最善ではなく最悪の結果になってしまったが。


別に農業の悪口を言ってるわけではない。僕の体調と環境では無理があっただけ。



とにかく、旅行会社の業績をあげれば解決するのだから、

それだけは諦めずに前へ進んでいこうと思う。